1994年。現在のように配信サイトなんてない時代。むしろ、音楽を聴くのはCDが主流。そんな中、あえて「カセット」と名づけ大阪で発足した音楽レーベル “GYUUNE CASSETTE”。それから16年。羅針盤、ヰタ・セクスアリス、Mady Gula BLUE HEAVEN、LSD-マーチ、みみのこと、Doodles、あふりらんぽなどなど、多種多様なアーティストの作品を数多くリリースしてきた。その主宰でもあり、現在も埋火や数多くのバンドでベーシストとして活躍する須原敬三氏にインタビュー。特別企画第一弾・GYUUNE CASSETTEに迫る!

――“ギューンカセット”立ち上げについて教えてください。
立ち上げたのは1994年。当時の音楽シーンっていうのはバンドマンが「音源を出したい!」と思っても、今と違って、音源の作り方を熟知している人がいなかったので、簡単にはリリースできなかったんです。でも、僕の周りには「音源として発売したいな」と思うバンドがたくさんいた。だから、自分でリリースするという環境を作ったんです。昔って、カセットに好きな曲を録音して編集して、友達とか好きな女の子にプレゼントしていた。僕がレーベルで音源をリリースするっていうのは、それとそんなに変わらないんですよね。自分がいいと思うアーティストをみんなに伝えたい。“ GYUUNE CASSETTE”を始めたキッカケはそれですね。
――「音源を出したくても出せない」という状況への対応と、「自分の気に入っている音源をみんなに伝えたい」という想いで、レーベルを立ち上げた と。
そうですね。それはレーベルコンセプトにも繋がってくるのかな。無名か有名かではなく、自分でライブを観て「これは世の中に出さないといけない」 ?と思うから、リリースする。これは16年間変わっていません。その良さが分かる人と一緒に共有したいなって。
――第1弾アーティストが、須原さん自身も参加されている、山本精一さん(Vo./G.)とのサイケデリックフォークロックユニット“羅針盤”ですね。
山本さんは、想い出波止場やボアダムズ、現在ではROVO、MOSTなど、数多くの音楽フィールドで活躍されていますが、羅針盤をリリースすることになったのは、どういったいきさつでしょう
僕が初めて見た、山本さんが“歌をやるバンド”っていうのが羅針盤で、彼の中では流動的なバンドだったんですよね。メンバーもライブごとに毎回変わったりして。その頃僕はギターを弾いていたんだけど、山本さんにベースで参加要請を受けたバンドが“羅針盤”だったんです。その当時、山本さんはボアダムズのメンバーとして“ローファイ”や“ジャンク”のアーティストとして認識されていて“歌を歌う人”とは思われていなかった。僕は、そういった“山本精一の歌モノの側面”をみんなに知ってもらいたいと思ったんですよね。94年だから、その頃はもちろんカセットですよね。それも、ビデオの音声から録っ てきた音源で(笑)。今考えると「よく、あんな音をリリースしたな」と。
――ビデオの音ですか(笑)。売れましたか
売れましたね。“カセット時代”は、1年くらいだったかな。価格は480円で、ひと月に2本リリースしていたので、半年で12タ イトルリリースしました。例えば、羅針盤を1本目に出して、その流れでリリースしたバンドっていうのは、当時流行りつつあった“ローファイムーブ”とか “ジャンクムーブ”とかに微妙にリンクしていて。なんか、おかげさまで、ほんま寝られへんくらい売れてもうて(笑)。途中から600円にしたんですけどね…。
――でも、カセットの制作ってどうやってするんですか?
もちろん自分です。自分でダビングするんですよ。一度に両方の録音が可能な、ダブルラジカセを5台購入した。マスターを鳴らして、同じメーカーのリモコンで動くから、5台一度に動かして時間を短縮して。でも、全然寝れなかったですね。
――タイトル多いですからね。須原さんが、音楽の世界に入ったキッカケを教えてください。
僕、小学1年生の頃からテレビっ子だったんです。歌謡曲番組が当時すごく多くて。69年、70年が小学校1年生くらいで、時期はサイケデリックロックの最後尾で、グループサウンズが解散するとき。で、はっぴいえんどが出てきた頃です。だからテレビで見た音楽がきっかけかな。高校1年生でなんとなくギターを始めて。
――あれ?ギター?でも、今ベースを担当されていますよね。?
ギターを弾いたら、自己主張が強すぎた(笑)。グチャグチャで、非常にノイジーなギターしか弾けなかったんです。今でもバンドでギターをやっているんだけど、こないだ二十歳のギタリストを入れたら、彼女の方が上手くて(笑)。ギターを弾くと、人格が変わる。僕の中に非常に奥ゆかしい部分と、前に出たがる部分があるんですよ。……それが人間ですよ。
――人間ですか(笑)。